中山道六十九次 (5/16) 軽井沢→芦田

東京の日本橋から旧中山道経由で京都の三条大橋を目指すウォーキングの5日目です。全行程のリンクと注意事項、アドバイスなどはこちらをご覧ください

概要

記録

軽井沢駅 ▶︎ 沓掛宿 (19/69)

東京駅6時28分発の始発はくたか551号で軽井沢駅に到着しました。まさにトンネルを抜けると雪国状態。昨晩降った雪が思ったよりも多い様子です。この雪が今日からの2日間の旅路を苦しめることになります・・・。

前回到着時は日没後でしたが、今日は快晴の早朝。しかし冷たい空気が肌に刺さります。

前回来たときはライトアップされて綺麗でしたが、雪景色もまた美しいです。

六本辻ラウンドアバウトに戻ってきました。ここから旧中山道ウォーキング再開となります。

ラウンドアバウトは出口を間違えるとあらぬ方向にいってしまうので要注意です。旧中山道は正面やや右手方向。

振り返って標識を確認したところ。軽井沢宿にあたる旧軽井沢から一直線に来ていることがわかります。

車道の除雪は行き届いていますが、歩道は除雪されていません。幸い交通量が少ないので周囲に気をつけつつ車道を進みます。

しなの鉄道の線路を踏切で渡ります。新幹線開業によって JR の信越本線の軽井沢から篠ノ井の間はこの第三セクター会社に移管されました。

小さな橋で湯川を渡ります。

湯川の下流方面。この水はやがて千曲川に合流し、信濃川となり、最後は新潟で日本海に注ぐことになります。碓氷峠が利根川水系と信濃川水系を分ける分水嶺 (ぶんすいれい) になっていることを実感する瞬間でした。

トイレを借りるため街道を少しだけ外れ、しなの鉄道の中軽井沢駅に寄り道しました。とても綺麗な駅舎でした。

江戸時代の沓掛宿は現在では中軽井沢と呼ばれています。現在も商店が並び賑わっている感じです。

沓掛宿の土屋本陣跡はこのあたりのようです。歩いているときには見落としていましたが、後でストリートビューで確認したら左手の建物の表札に「本陣 土屋」と書いてあることに気がつきました。

沓掛宿 (19/69) ▶︎ 追分宿 (20/69)

沓掛宿を後にてすぐ「古宿」という地名を目にしました。この先には「借宿」という地名があるみたいです。街道感あふれる地名が続きます。

国道18号に合流、バイパス道路とも合流する地点のようです。どっちを行けばいいのか迷いましたが、車が走っているところの左手の歩道を進んだらアンダーパスになっていて思った通りに行けました。しかし歩道が除雪されておらず進むのは大変でした。

下仁田道 (姫街道・女街道) 入口と書かれた案内板がありました。そしてこの地が先の案内板で見かけた借宿というところで、間の宿だったこともわかりました。下仁田道は、碓氷峠の碓氷関所を避けて下仁田へ、そして最終的には本庄宿で中山道に合流する迂回路のようです。3日目に訪問した本庄宿を示す道標がその追分だった模様です。

遠近宮 (おちこちのみや) という神社がありました。道中の無事を祈願しました。

創立年代がわからないほど昔からあるようです。安産の神として信仰が厚いとか。

黄壁布屋という立派な建物がありました。江戸中期に再建された建物が現存しているそうです。

案内板には、間の宿として栄えた借宿についても触れられていました。

再び国道18号に合流、古そうな道標がありました。下のほうが読み取りづらいですが、上州道を示す道標とのことです。

只今の気温、-1℃。

高速バスの信濃追分バス停がありました。池袋駅東口と御代田駅前を結ぶ千曲バスの高速バスがここに停車するようです。

標高1003mの標識がありました。碓氷峠の1200mからはだいぶ下がりましたが、今日のスタート地点である軽井沢駅の942mからは少し上がってきたことになります。

江戸から39里 (約153.2km) の追分一里塚に到着しました。雪で真っ白ですが、塚状になっていることは確認できます。

案内板には一里塚の概要と、ここが原形を保っている貴重な一里塚であることが記されています。

道路の南側には南塚もありました。ここは江戸時代からこんなに道幅が広かったのでしょうか。興味深いです。

再び国道18号から脇道に入ります。このあたりから追分宿のようです。

追分宿中心街へ進んでいきます。

立派な常夜燈がありました。天下・・・と刻まれています。天下泰平でしょうか。

昇進橋という縁起の良さそうな橋を渡って追分宿の中心街へ進んでいきます。

油やと書かれた看板が目に留まりました。ここが追分宿の脇本陣だったようです。

文士や知識人にも愛された旅籠屋だったそうです。改装され、宿泊も可能とのことです。

レトロな郵便ポストが雪化粧した街道に映えます。この背後方向あたりに本陣があったようです。

高札場跡がありました。古文書から復元したもののようです。とても雰囲気があります。

旧街道らしい緩やかなカーブを進んでいきます。

枡形の茶屋と書かれた案内板がありました。現代では枡形 (直角に曲がる道) は消失しています。

枡形の茶屋の外観。案内板から察するに、以前は左手に道が伸びていたのでしょうか。

中山道と北国 (ほっこく) 街道の分去れの道標に到着しました。北国街道はここから長野市の善光寺を経て直江津、新潟方面に至る街道です。左奥にある石碑は森羅亭万象の歌碑とのことです。

追分宿 (20/69) ▶︎ 小田井宿 (21/69)

高崎からここまで何度か合流したり分かれたりを繰り返してきた国道18号ともここで完全にお別れです。国道18号は北国街道に近いルートで長野市を経て直江津に至りますが、旧中山道は佐久平を抜け諏訪市方面に舵を切ります。

中山道69次を模した散策路がありました。雪で埋もれていますがせっかくなので押しのけつつ歩いてみました。

一里塚の55%はエノキ。エエ木が転じてエノキになった!?

歩いてきた宿場町を振り返ります。

追分宿に到着。

明日超える予定の和田峠。標高1600mで五街道の最高地点とのこと。

三条大橋に到着!面白かったです。

散策路の全体像。結構長いです。

追分から御代田 (みよた) に至る下り坂から蓼科山が見えました。

長野県内は中山道の道案内が整備されていてわかりやすいです。

大山神社。鳥居がなくてちょっと寂しいなと思ったのですが、どうやら木製から石製へ建て替えの途中だったようです。

御代田 (みよた) の一里塚は現在の街道から少し外れたところにあるようで、標柱が立っていました。せっかくなので寄ってみます。

江戸から41里 (約161km) の御代田の一里塚に到着しました。西塚・東塚共に現存する貴重な一里塚です。現在の街道から外れた畑の中にあることもあり保存状態がとても良いです。

堂々とした佇まいです。なお、写真は西塚で、東塚はすぐ近くにあるのに畑の奥にあるようで見落としてしまいました。

しなの鉄道を地下道でくぐります。右手には御代田駅があります。

とてもレトロなお酒の自販機がありましたが、さすがに稼働はしていないようです。

← 塩名田 (しおなだ) 10.3km → 追分 5.0km

小田井宿跡入口と書かれた標柱がありました。

小田井宿に到着、雲も晴れ雪解け水に光が反射して良い感じの景色になりました。

小田井宿の案内板がありました。江戸から21番目の宿場です。そしてここが東の桝形とのこと。

街道ウォーカーにとって大変ありがたい屋根付き休憩所で一休み。

小田井宿の本陣跡に到着しました。とても綺麗な白い壁の蔵が目立ちます。

本陣跡の案内板には客室が現存していることなどが記されていました。

本陣跡らしく門構えも立派です。

本陣跡のすぐ脇が高札場跡だったようです。そして案内板の手前には御代田村道路元標が鎮座しています。

高札場跡の案内板をアップ。小田井宿について詳しく書かれています。皇女和宮をはじめ宮家や公家の姫君によく利用されたことから「姫の宿」とも呼ばれていたそうです。

問屋跡 (安川家住宅) と書かれた標識がありました。県指定史跡となっています。

来た道を振り返ったところ。左手には2022年7月に古民家を改装してできた和食店「豊庵」が、右手には脇本陣跡がありました。

再び問屋跡、こちらは尾台家住宅と書かれています。とても立派な門構えです。

健康ウォーキング小田井史跡コースと書かれた案内板がありました。小田井宿をぐるっと一周する 1.2km のウォーキングコースのようです。

小田井宿 (21/69) ▶︎ 岩村田宿 (22/69)

小田井宿を抜け、県道9号と合流したところでお昼ごはんにしました。一代元というラーメン屋さん。とても賑わっていました。

一番人気と書かれた「塩煮卵ラーメン」を注文してみました。麺・スープ・具の絶妙なバランス感でとてもおいしかったです。

江戸から42里 (約164.9km) の鵜縄沢橋一里塚に到着しました。この看板の奥を登っていくと一里塚があるようですが、足元が悪そうなので進むのは諦めました。

大きな商店街に到着しました。このあたりが岩村田宿のようです。

直角に曲がるところに岩村田宿を示す案内板がありました。この先佐久甲州街道とも書かれています。

岩村田宿 (22/69) ▶︎ 塩名田宿 (23/69)

小淵沢と小諸を結ぶ小海線の線路を「仲仙道踏切」で跨ぎます。ちょうど小諸行きの列車が通過していきました。岩村田駅がここから少し北に行ったところにあり、その先に北陸新幹線も停車する佐久平駅があります。

御嶽神社の境内にたくさんの石碑が並んでいました。古そうなものから比較的新しいものまでたくさんあります。

八ヶ岳の山々が綺麗に見えました。いつか登ってみたいです。

平塚一里塚の跡はこのあたりのはずと注意深く歩いていたところ、鳥居がありました。

荘山稲荷神社という神社だそうです。中山道に関する記載は見当たりませんでした。なお、本殿が西向きになっている珍しい神社のようです。平塚の集落が西方にあるのでそちらを向いているとのこと。通常、神社は南か東を向いています。

歩いてきた道を振り返ったところ。結局平塚一里塚の痕跡はなにも見つけられませんでした。

久しぶりに中山道の標識がありました。岩村田宿から塩名田 (しおなだ) 宿へ向かっています。

諏訪神社、とてもしっかりした鳥居と広い境内が印象的です。

立派な文字が刻まれた大きな石碑と庚申塔、それと道祖神?がありました。大きな石碑は文字が読みづらいですが、何かの記念碑のようです。

道が不自然にぐねぐねしています。

交差点に案内板がありました。YAMAP の街道地図は右手を案内していますが、道の形からしても案内板のほうが正しそうです。案内板の通りに進みます。

駒形神社に到着。なんと重要文化財だそうです。

江戸から23次目の宿場、塩名田宿に到着しました。道祖神がお出迎え。

塩名田宿を進んでいきます。奥に見える緑色の看板のお店が丸山善兵衛本陣跡とのことです。

丸山善兵衛本陣跡の道路の反対側に中津村道路元標がありました。

こちらは塩名田宿2つ目の本陣、丸山新左衛門本陣跡。問屋本陣と書かれた看板が下がっています。

問屋・本陣跡の案内板。塩名田宿は暴れ川の千曲川を前にした立地なので、本陣も2つある厚い宿場体制となっていたようです。

塩名田宿の案内図がありました。西には千曲川、北には浅間山も描かれています。左下の案内板には、ここ塩名田が明治後期から昭和初期にかけて花街として賑わったことが説明されていました。

中山道は脇道を下るようです。看板がなければ道なりにいってしまいそうなポイント、助かります。

脇道を下ると塩名田宿お滝通りと書かれた大きな石碑と休憩所がありました。

小さな常夜燈のような石碑と、湧き水の案内板がありました。

江戸時代から湧き水が湧いていたが、現在ではだいぶ水量が減ったとのことです。水準点が示す標高は622.7mとのこと。

立派な中山道塩名田宿の看板がありました。千曲川の河原がすぐそこのためこのエリアは河原宿とも呼ばれていたそうです。

塩名田宿 (23/69) ▶︎ 八幡宿 (24/69)

千曲川の河川敷に到着しました。奥の赤い橋は昭和6年 (1931年) に掛けられた中津橋。明治時代の中津橋は川に船を並べてその上に板を敷いて作った中津橋があり、その船を留めていた「舟つなぎ石」がこの看板の正面から少しだけ下流側の河原にあります。

中津橋から南方、上流側を眺めたところ。八ヶ岳が見えます。

中津橋の北方、下流側を眺めたところ。中津橋は車道と歩道が分離されていて、歩行者も安全に渡ることができます。

江戸から44里 (約172.8km) の御馬寄一里塚跡に到着しました。標柱が立っているのみで現存しません。奥の石碑は「信風遠州流家元 信守斎一宇先生碑」と書かれています。こちらは茶人の記念碑のようです。

塩名田宿と八幡宿は千曲川の両岸に宿場を作ったことから間隔は2kmちょっとでとても短いです。中山道の案内板の奥には「御井大神」と書かれた石碑がありました。

まもなく八幡宿。

八幡宿に到着しました。八幡神社はこの宿場の名前の由来にもなっている神社です。ただし宿場は「やわた」と読みますが神社は「はちまん」と読むそうです。拝殿は街道からだいぶ奥にあるようです。

八幡宿の本陣跡に到着しました。この門は江戸時代から残る大変貴重なものだそうです。

笠取峠まで12.1kmとの標識がありました。今日はこのあと芦田宿の宿を予約しているので、笠取峠は明日超えることになります。

八幡宿 (24/69) ▶︎ 望月宿 (25/69)

国道142号と合流する直前、除雪されていませんが左手に歩行者が通った跡があるのでそちらを辿ります。

とても雰囲気ある集落を抜けていきます。ここは百沢集落というそうです。

祝言道祖神と書かれた案内板がありました。いくつかの石碑があります。

国道142号と交差します。国道142号とはこの先下諏訪まで何度もお世話になることになります。

望月宿に向けて歩を進めます。

古い道標と標柱があり、その先が未舗装路になっていました。

おっと、除雪されていません。足跡が左手に伸びていますが、旧中山道は正面の坂道です。幸いそこまで深くないので小さな歩幅で少しずつ上っていきました。

雪道の坂を登りきったら再び国道と交差します。横断歩道を渡った先に望月宿の石碑と望月城跡の案内板がありました。望月城は戦国時代にあった城だそうです。

江戸から45里 (約176.7km) の瓜生坂の一里塚に到着しました。石碑と案内板がありました。写真正面が南塚で、反対側の北塚は一部が残るのみとなっているようです。

坂道を上ったところに瓜生坂の石碑と石像がありました。百万遍念仏碑というそうです。

先程の石碑と石像のすぐ先、車道から脇の斜面を下っていく未舗装路があり、そちらが旧中山道とのことです。雪で滑りそうなので慎重に下っていきます。

未舗装路部分の瓜生坂を下りきって振り返ったところ、足跡は自分がつけたものだけです。

鹿曲川を渡ったら望月宿界隈です。地元の方から「よお来たねえ、どこから来たの?」と声を掛けられ少し立ち話をしました。心が温まりました。

桝形を抜け、緩いカーブを抜けたあとは一直線。とても趣ある宿場町です。左手の井出野屋旅館は、大神家一族の映画で那須ホテルとして使用された旅館との案内板がありました。残念ながらこのあと閉館してしまったようですが、オーナーが変わって Inn Mochizuki として再開を目指しているそうです (※執筆時点の情報)。右手の建物は旅籠山城屋。

望月宿本陣跡には望月歴史民俗資料館が建っていました。左奥にそびえ立つ大きな建物は「佐久市駒の里ふれあいセンター」というそうです。施設のようです。どちらもお金がかかっていそうです。

資料館の隣には大森小児科医院があり、御本陣という看板が掛かっていました。望月宿の本陣は大森家が務めたと記録されているので、子孫の方が土地を受け継いでいるようです。

本陣の反対側には鷹野家が務めた脇本陣跡がありました。

「重要文化財 真山家」と書かれた民家がありました。大和屋という旅籠だったようです。

大伴神社の参道が街道から伸びていました。石段が結構あります。

望月宿 (25/69) ▶︎ 茂田井 間の宿 (25.5/69)

望月宿と芦田宿の間には、間の宿茂田井があったそうです。洪水で望月新町が流されてしまった際はここ茂田井を望月宿の加宿にしようと働きかけたものの幕府に却下されてしまったそうです。

茂田井間の宿散策マップがありました。造り酒屋が2件あるようです。

茂田井間の宿の神明社。神明造りの本殿はこの地方では珍しいそうです。

武重本家酒造の前を通り過ぎて振り返ったところ。立派な杉玉が掛かっています。敷地内の建物30棟が国の登録有形文化財になっているとのことです。「御園竹」「牧水」という日本酒やどぶろく、焼酎を作っているそうです。

狭くて急な坂道を上っていきます。右手奥が大澤酒造という酒蔵です。

坂を登りきったあとも趣ある民家が続いています。

茂田井村上組高札場跡と書かれた案内板がありました。茂田井には2つの名主がいた時代があり、高札場も2箇所あったそうです。

高札場の案内板のすぐ先に石割坂と書かれた案内板がありました。石を割って道を作ったので石割坂と呼ばれているそうです。

江戸から46里 (約180.7km) の茂田井一里塚跡に到着しました。

右手にある案内板によると塚は現存しないようです。左手のもっこりは一里塚を小さく再現したオブジェ的なものでしょうか。

茂田井 間の宿 (25.5/69) ▶︎ 芦田宿 (26/69)

茂田井間の宿から芦田宿へ向かう途中、交差点に芦田宿の案内板がありました。芦田宿の先の笠取峠についても書かれています。

解説板の隣は散策マップでした。本陣、脇本陣のほか、宿泊予約をしている金丸土屋旅館もマップに書かれていました。

案内板の隣には常夜灯風のオブジェがありました。右手には「これより中山道 芦田宿」との標柱もあります。

なかなか年季の入ったお店が並んでいます。

芦田宿の本陣跡に到着しました。入口の案内板には「県宝 旧芦田宿本陣土屋家住宅」とありました。寛政12年 (1800年) 改築の客殿が現存しており、それが県宝に指定されているとのことです。

電話で予約していた金丸土屋旅館に到着。なんと江戸時代から200年以上続く旅籠屋さんだそうです。建物もうだつが上がっていて立派です。温かみのある電灯が玄関を照らしています。

ご主人と中山道トークをしながら館内を案内していただき、だいぶ奥にある客間に到着しました。なんと、今日の宿泊者は私だけの貸し切り状態でした。

客間の前は中庭になっていました。とても落ち着く雰囲気です。

客間に荷物を置き、再び玄関へ。ご主人によると、いつから建っているのか正確なことはわからないが、少なくとも江戸時代から建っている建物とのことです。

2階にも客間があり、この階段で上り下りするようです。

玄関の様子。とてもほっとする空間です。

さて、夕ご飯まで時間があるので近くにある温泉施設「権現の湯」に行ってみることにしました。近くといっても徒歩15分ぐらいあります。一帯は権現山運動公園という公園になっていました。

こちらが権現の湯の建物。とても綺麗で大きいです。りんごの絵が印象的です。

温泉でじっくり疲れを癒やしたあとは、定番の牛乳です。八ヶ岳乳業と書かれていました。紙蓋の上にビニールでラップがしてあり衛生的。しかし紙蓋を開けるのがちょっと大変でした。

再び旅館に戻って晩ごはん。お米はなんと自家栽培です。おかずも色々用意してくれました。味噌汁も具だくさん。野沢菜の天ぷらがシャキシャキでとてもご飯に合いました。

温泉から宿に返ってくる途中も少し汗をかいたので宿のお風呂もいただきました。お風呂やトイレは廊下がつながった別館のようなところにあり、とてもピカピカで快適な水回りでした。

客間には建物について解説している資料がありました。大屋根の上に小屋根の乗った櫓 (やぐら) 造、窓周りに見える出桁 (だしげた) 造、飾りうだつなどの特徴的な建築であることが記されていました。ファイルには中山道の宿場と距離などを記したノートなどもありました。

お着き菓子は大きなくるみの乗った大福でした。おいしくいただきました。