中山道六十九次 (3/16) 籠原→北高崎

東京の日本橋から旧中山道経由で京都の三条大橋を目指すウォーキングの3日目です。全行程のリンクと注意事項、アドバイスなどはこちらをご覧ください

概要

記録

籠原駅 ▶︎ 深谷宿 (9/69)

年末年始を挟んで1ヶ月ぶりに籠原駅に帰ってきました。ベンチでおにぎりを食べたあと、旧中山道の中断地点まで進みます。

前回の中断地点の交差点に到着しました。ここから中山道歩きを再開します。

立派なお屋敷が街道沿いにありました。

江戸から18里 (約70.7km) の東方一里塚があったと思われる辺りを過ぎたところに鬼林稲荷大明神と書かれた小さな神社がありました。道中の無事を祈願してきました。

熊野大神社の大きな鳥居がありました。社殿はここから先に進んだところにあるようです。

愛宕神社もありました。このあたりは神社が多いですね。

深谷宿に到着しました。旅人を導く立派な常夜灯が立っていました。

西側にも常夜灯がありました。天保11年 (1840年) に富士山信仰で有名な富士講の人たちの手により建立されたとのこと。

深谷宿 (9/69) ▶︎ 本庄宿 (10/69)

萱場稲荷神社に到着しました。

深谷ネギの畑でしょうか。たくさん育っています。

国道17号と交差するところで再び神社、こちらは瀧宮 (たきのみや) 神社です。宿根総鎮守と書かれています。

国道17号の80kmキロポストを通過しました。

しばらく国道17号を歩いていたのですが、ここから右手に旧中山道が分岐しています。

国道との分岐地点の北側には塚のような一帯がありました。Google マップによると蛇喰古墳という名前の古墳とのことです。

島護産泰神社という神社を通過しました。安産祈願のご利益がありそうです。

「中山道古道について」と刻まれた石碑が交差点に置かれていました。江戸時代と現代の道の変遷について記されていました。左手には馬頭尊が鎮座していました。

「中山道 左へ」と書かれた案内板が複雑な道順を説明してくれています。

直角に右折するポイントにも案内板が置かれていました。英語で Go down for Nakasendo とも書かれています。

坂を下っていると、沢山の庚申塔が集められたスポットに到着しました。その名も百庚申。江戸時代後期の万延元年 (1860年) に建立されたようです。

沢山の庚申塔が並んでいます。奥には八坂神社の鳥居も見えます。

滝岡橋で利根川の支流の小山川を渡ります。歩道がとても狭いので車に注意して渡る必要があります。

正面に赤城山が見えました。ちなみにこの2ヶ月後に雪山装備を整えて登りに行きました。

土手から北西方面に雪化粧した榛名山が見えました。

本庄市立藤田小学校の脇を歩いていると、旧中山道と書かれた道路標識が現れました。

道路脇に庚申塔が並んでいました。

八幡大神社という大きな神社に到着しました。石碑には牧西鎮守とも書かれています。

子育地蔵尊と書かれたお地蔵さんがありました。

新泉橋で元小山川を渡りました。このあたりに江戸から21里 (約82.5km) の傍示堂一里塚があったようですが、痕跡は見当たりません。

国登録有形文化財となっている旧本庄仲町郵便局に到着しました。郵便局としてはもう利用されていないようです。

本庄レンガ倉庫という建物がありました。正式名称は旧本庄商業銀行煉瓦倉庫で、こちらも国登録有形文化財です。明治29年 (1896年) に建立されたそうです。

酒屋さんに本庄宿と書かれた看板が飾られていました。

「本庄・宮本 蔵の街」と書かれた案内板がありました。酒問屋の蔵の解説などが記されています。

味のある蔵が街道沿いに佇んでいました。

本庄宿を示す道標が交差点に建っていました。

本庄宿 (10/69) ▶︎ 新町宿 (11/69)

中山道六十九次絵タイル歩道に到着しました。日本橋から各宿場のタイルが並んでいました。

住宅や商店などが途切れることなく続きます。

万年寺公会堂の近く、このあたりに江戸から22里 (約86.4km) の万年寺一里塚があったようですが、それを示す手掛かりは見つかりませんでした。

庭の広いお屋敷が続きます。

浅間山古墳に到着しました。鳥居と案内板が置かれていました。

古墳時代後期の7世紀後半に築造された円墳とのことです。

お昼ご飯は鶏白湯ラーメン屋さんの「とりの助」にしました。

ラーメンとチャーハンでお腹を満たしました。濃厚でとてもおいしかったです。

三国道入口と刻まれた道標がありました。高崎から新潟方面に至る三国街道に繋がっているようです。

道路脇に塚のようなものが目に留まりました。愛宕神社と書かれた石碑などが置かれています。ここは愛宕塚と呼ばれているそうです。

賀美公民館の入口に中山道の案内板が置かれていました。かつてここにあった金窪村について書かれています。

江戸から23里 (約90.3km) の勝場一里塚跡に到着しました。塚はもうありませんが、石碑と祠が鎮座しています。

いよいよ神流川を渡ります。ここは古戦場でもあったとのことです。

さて渡ろうと思ったら、道が閉鎖されていました。新しい神流川橋ができたためそちらに迂回する必要があるようです。

新しい神流川橋へ渡る途中、古戦場の案内板がありました。しかしだいぶ色あせて読みづらいです。

左手が旧神流川橋、右手が新神流川橋です。

神流川を渡っていると、北方に赤城山などが見えました。

橋を渡り終え、埼玉県から群馬県に入りました。

陸上自衛隊の新町駐屯地の脇を通ります。左手に写っているチヌークは敷地内で展示されているものでしょうか。

見通し灯篭に到着しました。江戸時代後期の文化12年 (1815年) に建てられた常夜灯です。

行在所公園には、休憩できるベンチが置かれており一休みしました。名前の通り、明治天皇が道中で宿泊された行在所が残る公園です。

歌川広重が新町を描いた浮世絵が展示されていました。

こちらが明治天皇が宿泊された新町行在所とのことです。高崎市指定の文化財と書かれており、大切に維持されているようです。

新町行在所の案内板。明治11年の北陸・東海地域の巡幸の際に利用されたと記されています。当時は街道に門があったそうです。なお、新町宿の本陣跡はこの少し先にあったようです。

新町宿 (11/69) ▶︎ 倉賀野宿 (12/69)

弁財天公園に「日本スリーデーマーチ発祥の地」という記念碑がありました。日本最古のウォーキング大会だそうです。そして右下には「内閣総理大臣 中曽根康弘」と刻まれています。中曽根さんの地元でもあったのですね。

県道から旧道が分岐するところに旧中山道の標識がありました。英語は "Kyu Nakasendo" になっています。

関東と越後を結ぶ高速道路、関越自動車道の下をくぐります。木製の道標がありました。

⬅倉賀野宿 4.4km ➡新町宿 0.8km とあります。

関越道を超えると、旧中山道は鳥川 (からすがわ) の土手へ。サイクリングロードになっています。

しばらく土手を進むと、旧中山道は住宅地のほうに降りることになります。

住宅地の中を抜けたら、再び土手のサイクリングロードへ。ボーっとサイクリングロードを歩いていると飛ばしてしまいそうな脇道でした。旧中山道の標識の英語は "Kyu-nakasendo" になっています。ゆらぎが気になります・・・。

柳瀬橋が見えてきました。

中央左手寄りに榛名山、右手は赤城山が見えました。

柳瀬橋は歩道と車道が完全に分離されていました。車道の幅は思ったより狭いです。

烏川の下流を見渡してみました。この先で利根川に合流します。

柳瀬橋を渡りきったところに岩鼻観測所がありました。水位の推移を観測しているようです。

土手を下ると旧道の続きです。ここにも標識があり、英語は "Old Nakasendo" でした。Kyu だったり Old だったり本当にばらばらです。

おっと、この先は工事中で迂回が必要のようです。旧中山道は直進ですが、とりあえず右折してみます。

赤城神社という神社がありました。赤城山の登山口にある神社と関係があるのでしょうか。立派な木がたくさん植わっています。

工事区間の向こう側へいこうと細い道を歩いていたら、出来立ての階段がありました。

この先の交差点を右折すれば旧中山道に復帰のはず。歩を進めます。

だいぶざっくりした道路標識がありました。中山道は高崎から進路を西に取るので、あまり参考になりません。

跨線橋で高崎線を超えます。単線のように見えますが、下り線と上り線が少し離れているだけのようです。

なかなかインパクトのある看板兼オブジェに遭遇しました。食肉加工会社のようです。

YAMAP の街道地図はここを左ですが、Google Maps の旧中山道の表示は右を示していました。私は左を行くことにしました。

日光例幣使街道の道標と常夜灯がありました。

案内板には日光例幣使街道と中山道の倉賀野宿に関する記述がありました。

倉賀野宿本陣跡に到着しました。現在はクスリのアオキになっています。

こちらの脇本陣には立派な民家がありました。

脇本陣跡を示す石碑がもう一つありました。

倉賀野宿の高札場の跡が再現されていました。

倉賀野宿 (12/69) ▶︎ 高崎宿 (13/69)

江戸から25里 (約98.2km) の倉賀野一里塚に到着しました。現存しませんが、榎が植わっていたそうです。

左道通行と書かれた石碑がありました。昭和7年製とのことで、旧中山道に並木道を挟んで車線を増やしたため、方向を案内するために設置されたもののようです。

倉賀野町西上正六バス停付近、右手の精肉店・酒屋の裏手が旧中山道という情報もありましたが、通り抜けできるように見えなかったので県道を進みました。

倉賀野町西上正六バス停を抜けた先からは脇道を歩けそうだったので進んでみました。

生活道路を進みます。

➡高崎宿 1.5km ⬅倉賀野宿 1.8km との標柱。久々にここが中山道であることを実感しました。

高崎駅の近くをかすめるとても賑わっているエリアに到達しました。そして日が暮れてきてマジックアワーに。まだ体力があったので高崎駅ではなく北高崎駅まで歩くことにしました。

案内板のあるお茶屋さんが目に留まりました。水村園というそうです。

水村園は江戸時代から続く老舗のようです。明治14年 (1881年) 産の茶葉が保管されていて、現存する日本最古の茶葉だそうです。

高崎宿 (13/69) ▶︎ 北高崎駅

本町1丁目交差点に到着。ここで旧中山道を離れ、北高崎駅に向かいます。

北高崎駅に到着しました。本日はここで終了、42km歩きました。

続き中山道六十九次 (4/16) 北高崎→軽井沢