川越街道 (1/2) 日本橋→新座
東京の日本橋から旧川越街道経由で埼玉県の川越を目指すウォーキングの1日目です。全行程のリンクと注意事項などはこちらをご覧ください。
概要
- 活動日: 2025年5月5日
- 歩行距離: 28.4km
- 獲得標高: 🔺168m 🔻139m
- 出発: 8:21 日本橋
- 到着: 19:01 新座駅
- 合計時間: 10時間40分
- 休憩時間: 3時間22分
- ヤマップ活動記録: https://yamap.com/activities/39828560
記録
日本橋 (0/8) ▶︎ 板橋宿 (1/8)
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| 東京駅から歩いて日本橋にやってきました。いつもの街道歩きスタートは未明だったので、明るい時間にここからスタートするのは今回が初めてです。 |
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| 見慣れない機器が設置されていました。首都高の地中化工事の準備のための計測装置のようです。 |
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| いつも撮っているお気に入りのアングルでパシャリ。 |
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| 地中化されたらこの景色もがらりと変わることでしょう。 |
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| 麒麟さん。 |
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| 車が通らないスキを狙って橋の真ん中にある道路元標を撮影してみました。 |
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| こちらは北詰に展示されているレプリカ。 |
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| こちらが先代の道路元標。 |
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| 三越の前を通って北に進みます。2体のライオン像がお出迎え。 |
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| 昭和初期まで今川橋があった場所を通ります。 |
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| 今川橋といえば、今川焼きの由来でもあります。そして「今川焼き」といえば、「大判焼き」や「回転焼き」などの別名がたくさんあることでも有名。横浜生まれ横浜育ちの私は「黄金焼」と呼んでいました。 |
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| 今川橋は交差点の名前として現在も残っています。 |
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| ようやく1km。 |
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| 鍛冶参・・・鍛冶町三丁目。 |
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| 昌平橋で神田川を渡ります。中央線と総武線をくぐります。 |
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| まもなく神田祭。 |
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| 神田明神に到着しました。せっかくなので参拝していきます。 |
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| 随神門をくぐって境内へ。 |
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| 社殿に参拝、道中の無事を祈願しました。 |
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| 神馬の明 (あかり) ちゃん。 |
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| 資料館にて「薬屋のひとりごと」のコラボ展示をやっていたので神田祭関係の展示を合わせて見学してきました。 |
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| 東大の赤門を通過。耐震診断の結果から通行ができなくなっていました。 |
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| 日本橋から1里 (約3.9km) の追分一里塚跡に到着しました。中山道と日光御成道の分かれ道でもあります。いずれ日光御成道も歩いてみたいと思います。 |
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| 案内板にも言及があった江戸時代から続く酒屋さん。 |
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| 追分を左折し少し進むと本郷高等小学校跡と書かれた説明板がありました。明治41年 (1908年) に開校し、同43年には木造3階建て校舎が完成し、終戦の頃まで使われたそうです。 |
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| 旧駒込東片町と書かれた説明板もありました。中山道の東側にあることから「東」の字が町名に入っているそうです。 |
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| 巣鴨駅前までやってきました。徳川慶喜巣鴨屋敷跡地碑を通過。 |
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| 「おばあちゃんの原宿」とも呼ばれる巣鴨の商店街へと入っていきます。混雑で写真を撮り損いましたが、とげぬき地蔵尊 (高岩寺) にも参拝しました。 |
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| 巣鴨名物マルジの赤パンツ屋さん。以前ここでトランクスを購入し、勝負時 (?) に履いて愛用しています。今回はボクサーパンツを買いました。 |
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| 庚申塚交差点にある巣鴨庚申堂に寄ってみました。 |
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| 立派な拝殿と、巣鴨の庚申塚と書かれた標柱がありました。とても大切にされていることが伝わってきます。 |
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| お昼ご飯は板橋駅の手前にある天寿々(てんすず) というとんかつ屋さんにしました。ちなみに、江戸から2里 (約7.9km) の平尾一里塚がこの近くにあったようですが、全く痕跡はありませんでした。 |
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| 素朴な感じのとんかつがでてきました。厚くてジューシー、とても美味しかったです。 |
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| 仲仙道踏切で埼京線を渡ります。中央本線沿いを歩いている際にたくさん渡った「第⚪︎⚪︎仲仙道踏切」と同じ旧漢字が当てられています。 |
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| 以前通ったときには見落としていた板橋平尾宿の説明板を発見しました。板橋宿は平尾宿、仲宿、上宿の3宿の総称であり、江戸方の入り口にあたる平尾宿はこのあたりに広がっていたことがわかります。残りの仲宿と上宿は川越街道との分岐点である平尾追分より先に広がっているので、川越を目指す道筋上にあるのはここ平尾宿だけともいえます。 |
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| 旧中山道の標識を見つけました。右奥の首都高の高架が見えるほうに進んでいきます。 |
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| 首都高をくぐり、平尾追分に到着しました。ここから商店街に入っていくのが中山道、左手の首都高沿いに向かうのが川越街道ということになります。 |
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| 商店街の様子。江戸時代からの仲宿の賑わいを現代に受け継いでいるように感じます。 |
板橋宿 (1/8) ▶︎ 上板橋宿 (2/8)
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| 平尾追分からはいよいよ正真正銘川越街道ウォーキングになります。と思ったら R17 の 10km キロポスト。R17 は日本橋を起点として新潟へと至る国道で、高崎までは中山道の道筋と重なります。 |
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| 四ツ又通り周辺案内図と書かれた地図がありました。 |
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| 旧川越街道との表記を発見! |
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| 四ツ又名称の由来と書かれた説明欄からも旧川越街道への言及がありました。中山道の迂回路としても使われたことや、大名行列も通ったことなども記されていました。 |
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| 少し進んだところにも同様の案内図がありました。こちらのほうがずっと痛みが少なく読みやすいです。 |
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| "YOU-ZA OYAMA" と書かれた商店街のゲートをくぐり、遊座大山商店街に入っていきます。大山ってもしかして大山詣、大山道の大山・・・? |
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| 東武東上線の大山駅横の踏切を渡ります。駅前商店街としてとても賑わっていました。 |
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| 商店街を抜け、大きな車道に出ました。現在の川越街道であり、遠く長野県の松本に至る大動脈でもある R254 になります。旧中山道とは望月宿〜芦田宿らへんで合流したあと、和田峠には向かわず、その少し北側を抜けて松本市の北側に下りてくる道筋になっています。 |
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| R254 をしばらく歩いたあと、脇道に入っていきます。川越街道も他の街道と同じく、旧道の道筋が脇道として幹線道路から分かれて残っている区間が数多くあります。 |
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| 「いたばし まちあるきマップ」と書かれた地図がありました。案内板が面してる方向に合わせ、南が上になっているので注意。主に神社やお寺などがハイライトされているほか、現在の道が確かに旧川越街道であることも確認できました。 |
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| 道端にある豊敬稲荷神社に参拝しようと境内に立ち入ったところに、旧上板橋宿概要図と書かれた説明板を見つけました。昭和初期の様子を記した地図が展示されていました。 |
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| お稲荷さんに参拝。お狐は網に囲まれガードされていました。 |
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| 上板橋宿内を進んでいきます。落ち着いた商店街の雰囲気です。 |
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| 「日本橋二里二十五町三十三間」と書かれた標柱?がありました。 |
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| 下頭橋通り (旧川越街道) と書かれた標識がありました。下頭橋は「げとばし」と読むようです。 |
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| 通りの名前にあった下頭橋にやってきました。橋の手前には地蔵堂がありました。 |
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| 説明板には、下頭橋の名の由来が記されていました。旅僧が地面に刺した榎の木が芽吹いて大木になったとされる「逆榎 (さかさえのき)」が由来という1つ目の説、川越藩主の出府の際に江戸屋敷の家臣がここまできて頭を下げて出迎えたことが由来という2つ目の説、橋のたもとで旅人から喜捨を受けていた六蔵の金を元に石橋が架け替えられたことが由来という3つ目の説があるそうです。 |
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| 下頭橋で石神井 (しゃくじい) 川を渡ります。石神井川は花小金井が水源で隅田川に合流して東京湾に至る荒川水系の川になります。 |
上板橋宿 (2/8) ▶︎ 下練馬宿 (3/8)
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| 上板橋宿の西端である下頭橋を渡った直後、左手にカーブする脇道へと進んでいきます。 |
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| 見た目は脇道に入った感じですが、下頭橋通りの続きのようです。 |
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| R254 に合流しました。環七が陸橋でオーバークロスしています。 |
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| 本郷から 9km と書かれたキロポストがありました。R254 は今日通ってきた本郷追分の少し南にある R17 との交差点 (本郷三丁目) が起点で、日本橋からの距離は R17 の部分を足したものと思われます。 |
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| 下練馬宿が近づいてきたところで再び脇道へと入っていきます。 |
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| こちらの旧川越街道の標識は緑色でした。 |
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| 「川越街道 下練馬宿」と書かれた説明板がありました。鍛冶屋や紺屋のほか、鷹狩りの餌となる「けら」を扱う「けらや」もあったそうです。けらはコウロギの仲間で、挿絵も添えられていました。説明板には、この先の環八との交差点に富士・大山道との分岐があったことも記されています。ここまで商店街名や駅名として「大山」の文字を目にしていましたが、案の定ここが大山道の道筋とも重なっていることがはっきりしました。 |
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| 商店街には下練馬宿ののぼりも掲げられていました。 |
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| 先ほどの説明板に言及があった道標に到着しました。環八は地面の下をクロスしていました。道標に掘られた文字は「従是大山道」と読めます。その左には「左 東高野山道」と掘られた道標もありました。 |
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| 道標の右手にある説明板によると、大山道道標は宝暦3年 (1753年) に建てられたもので、上部の不動明王像は後付けされたものだそうです。東高野山道標は長命寺への道標だそうです。これらは環八の工事によって元の位置から 8m 西側に移動されたそうです。 |
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| 下練馬宿の江戸・明治期の様子を示した図が展示されていました。先ほどの道標があったあたりが下宿で、内田家本陣・脇本陣があったこともわかりました。現在位置は中宿にあたる場所で、この先の上宿エリアには大木家本陣もあったようです。 |
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| 川越街道とその周辺の街道の位置を示した図もありました。図示されている大山道は (数ある大山道の道筋のうち) ふじ大山道および府中通り大山道を指しているようです。 |
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| 浅間神社の境内の入り口には旧川越街道と掘られた石柱と説明板がありました。 |
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| 説明板には、川越城と江戸城を結ぶ街道として室町時代から栄えていたことや、日本橋から川越城下の距離にかけて「栗 (九里) より (四里) うまい十三里」という川越藷 (いも) の宣伝文句も作られたこと、富士・大山詣や秩父巡礼の旅人も通ったことなどが記されていました。 |
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| 浅間神社に参拝後、その脇にある富士塚に上ってみることにしました。 |
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| 九合目。 |
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| 登頂! |
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| 標高 37.76m。富士山が 3,776m なので、ちょうどその 1/100 スケールというわけですね。 |
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| 富士山の方角を示しているようです。 |
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| 富士塚頂上からの眺め。正面の道が旧川越街道になります。 |
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| 浅間神社と富士塚の説明板がありました。登山道も複数整備され、趣向が凝らされています。 |
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| こちらの案内図の右上には、練馬大根発祥の地と書かれていました。 |
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| 北町観音堂に到着しました。仁王像がちらりと見えます。 |
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| こちらのサイドには馬頭観世音が並んでいました。 |
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| 旧川越街道の説明板もありました。川越芋の話がここにも。 |
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| こちらの下練馬宿の説明板では上宿について説明しているほか、練馬大根の由来についても詳細に記されていました。 |
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| そろそろ下練馬宿の西端のようです。 |
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| こちらの説明板では北町観音堂を中心に解説していました。 |
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| 先ほどの説明板が設置されていたのはトロフィー屋さんの前。トロフィーの専門店を目にしたのは記憶の限りでは初めてです。 |
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| 商店街の賑わいが少し遠ざかり、住宅街の雰囲気になってきました。 |
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| R254 に合流するところで旧道の道筋を振り返ったところ。標識もばっちり設置されています。 |
下練馬宿 (3/8) ▶︎ 白子宿 (4/8)
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| 地下鉄赤塚駅の1番出口に鎌倉古道と書かれた道標と騎馬像が鎮座していました。左手に「至かまくら」右手に「至はやせ」とも記されており、古地図と照らし合わせてもここが古くからある道の交差点であることが確認できました。「はやせ」はここから北にある荒川の左岸に広がる地名「早瀬」を指しているのではないかと思われます。 |
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| 細い路地の入り口に古そうな石碑がありました。下の方に供養塔と彫られているのが読めます。 |
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| 供養塔の側面の様子。建立年代などが彫られていそうですが、私には判読できませんでした。 |
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| 赤塚交番を過ぎたところに小治兵衛窪庚申尊がありました。庚申塔の一種のようです。屋根付きで花も添えられ、大事にされているようです。 |
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| 庚申塔に彫られている文字の内容とその解説がありました。天明3年 (1783年) 建立のようです。 |
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| 彫られている文字ははっきり読み取れます。 |
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| 成増二丁目バス停付近から再び脇道に入り、白子宿方面へと進んでいきます。 |
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| 白子橋で白子川を渡ります。 |
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| 橋の欄干には「くつが鳴る」という曲の歌詞が刻まれていました。 |
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| 交差点に白子村道路元標がありました。道路元標は風景に溶け込んでいたり埋まりかけていたりで見落としがちですが、こちらはなかなか存在感があります。 |
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| 裏面には「埼 玉 縣」と彫られていました。ここで地図を見返し、先ほど通った白子橋のあたりが東京都と埼玉県の県境だったことに気がつきました。 |
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| 大坂と呼ばれる坂道を上っていきます。 |
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| 大坂ふれあいの森と書かれた公園 (?) がありました。 |
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| 森の様子。ところどころ工事中のようです。 |
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| 大坂ふれあいの森は、和光市が地主から借りて市民緑地として開放している場所のようです。 |
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| 湧き水は今も生きているそうです。 |
白子宿 (4/8) ▶︎ 膝折宿 (5/8)
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| 県道68号を歩道橋で渡ります。 |
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| 陸上自衛隊の朝霞駐屯地脇までやってきました。ちょっと疲れてきたのでマクドナルドでひとやすみ。 |
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| マクドナルドの近くから旧道が分岐していましたが、すぐ本線に合流しました。 |
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| 幸町三丁目交差点バス停付近から再び脇道へ。 |
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| 膝折宿の脇本陣跡に到着しました。とても趣ある建物が残っています。 |
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| 高麗家住宅 (膝折宿 脇本陣) と書かれた説明板がありました。村田屋という旅籠を営んでいたそうで、この建物は天明期に作られたものが残っているとのこと。とても貴重ですね。 |
膝折宿 (5/8) ▶︎ 新座駅
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| 武州里神楽と書かれた説明板がありました。近くにある野火止 (のびとめ) 氷川神社が発祥で、江戸時代から親しまれてきた神楽だそうです。 |
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| 八雲神社と書かれた大きな案内板と、その横に小さな石祠が鎮座していました。創建不詳ですが、少なくとも江戸時代からはこの地にあるようです。 |
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| 新座駅に至る道路との分岐点で今日は終了。右手奥にある野火止神明神社には次回参拝しようと思います。 |
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| 武蔵野線の新座駅に到着。 |
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| 晩御飯は駅前のサイゼリヤにしました。ミラノ風ドリアとほうれん草ソテーの組み合わせは鉄板です。 |
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| 駅前の広場には水車もあり良い雰囲気でした。 |
続き: 川越街道 (2/2) 新座→川越



















































































































