東海道五十三次 (1/18) 日本橋→横浜
東京の日本橋から旧東海道経由で京都の三条大橋を目指すウォーキングの1日目です。全行程のリンクと注意事項、アドバイスなどはこちらをご覧ください。
概要
- 活動日: 2023年10月14日
- 歩行距離: 34.0km
- 獲得標高: 🔺70m 🔻66m
- 出発: 02:10 日本橋
- 到着: 19:58 横浜駅
- 合計時間: 17時間47分
- 休憩時間: 10時間16分
- 旧街道足跡マップ: https://kaidotrail.github.io/tokaido.html
- ヤマップ活動記録: https://yamap.com/activities/27458866
記録
日本橋 ▶︎ 品川宿 (1/53)
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| ひょんなことから金曜日の深夜26時の日本橋に降り立ってしまいました。しかもお酒が入っています。さて、どうしたことか。 |
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| お、きりんさん。お久しぶりです。 |
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| 道路元標さんもお久しぶりです。 |
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| というわけで、東海道を歩いて帰ることにしました。 |
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| マリーゴールドの花壇が街頭に照らされて輝いています。お花たちも昼夜逆転してしまうのではとちょっぴり心配になります。 |
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| 街路樹がライトアップされて幻想的です。 |
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| 京橋の名の元になった橋にやってきました。東海道で京都に向けて歩き出して最初に渡る橋だから「京橋」だそうです。橋で越していた京橋川は江戸時代に開削してできた人工の川で、戦後の復興期に埋め立てられて京橋は役目を終えました。 |
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| 銀座の中心街にやってきました。深夜2時半の銀ブラ、スタート。 |
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| 深夜だというのに車の往来が結構あってびっくりしました。そして自分よりもさらに怪しそうな人たちが街を闊歩していました。 |
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| 日比谷神社で道中の無事を祈願しました。平成21年 (2009年) にすぐ近くからお引越ししたばかりのため至る所がピカピカです。 |
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| 高輪ゲートウェイ駅付近。埋蔵文化財の発掘調査との看板がありました。高輪築堤のことでしょうか。 |
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| 品川駅に到着しました。電車が動き出すまでまだ時間があるので、歩を進めます。 |
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| 品川宿まち歩きマップがありました。南北にとても長く、大規模な宿場町だったことがわかります。目黒川を境に北側を北品川宿、南側を南品川宿と呼ぶそうです。 |
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| 八ッ山口の石碑がありました。ここが宿場町の入口のようです。 |
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| 深夜の北品川宿を歩いていきます。この右手に京急の北品川駅があります。品川駅より南にあるのに北品川駅となっているのは、この北品川宿に由来しているそうです。 |
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| 品川橋で目黒川を渡った先の信金の角に「是より南 南品川宿」の説明板がありました。それにしても、こうして歩いていると自転車に乗って通った時には気づかなかったいろいろな看板等に気がつきます。 |
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| 南品川宿の様子。さすがにこの時間ここまでくるとがらんとしています。 |
品川宿 (1/53) ▶︎ 川崎宿 (2/53)
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| 旧東海道の標識がありました。 |
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| 車がぶつかってしまったのか、北浜川の石碑が傾いていました。なお十九番というのは八ッ山口を一番とした通し番号で、道中の地名等がマイルストーンのように設置されています。 |
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| 浜川橋で立会川を渡ります。説明板が立っており、涙橋の別名があるとか。曰く、この先にあるお仕置場 (鈴ヶ森刑場) で処刑される罪人の親族がこの橋まで見送りに来て涙を流しながら別れた、とのことです。 |
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| 鈴ヶ森刑場遺跡に到着しました。こうして夜に来るとなかなかの雰囲気です。 |
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| 右手に火炙台、左手に磔台が並んでいました。罪人はここで生きたまま火炙りにされたとか・・・。 |
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| 刑場跡は隣接する大経寺の境内になっているようです。仏教関係の文字碑も見えます。 |
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| 平和島駅に近い美原通りの様子。イルミネーションが綺麗です。 |
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| 内川橋で内川を渡るところに美原通りについて記した説明板がありました。商店や人家が密集していたことにより、第一京浜国道 (1国、今の国道16号) が西側を迂回するように敷設されたことで、往時の幅員が残る区間になったとのことです。 |
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| 日本橋から3里 (約11.8km) の大森一里塚がこのあたりにあったようですが、今は手がかりがありません。美原通りの南の入口にある石碑は、旧東海道であることを示しているのみです。2019年頃までは、この石碑の向かいにある久保というお店の前に一里塚の説明板があったそうです。 |
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| 3階建構造が特徴的な京急蒲田駅が近づいてきました。JRと東急の蒲田駅はここから 1km 西に行ったところにあります。 |
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| 夜が明けてきて電車が動き出していました。かつてはここに踏切があり、箱根駅伝では踏切で足止めを喰らう難所でしたが、3階建の立体構造になり2011年に解消されました。 |
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| 電車も動き出したのでここで街道歩きを終了、自宅に帰りました。 |
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| 一眠りしたら陽が傾きかける時間になっていましたが、歩き足りないので散歩がてら横浜まで歩くかと思い街道歩きを再開。 |
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| 六郷神社で道中の無事を祈願します。 |
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| 鳥居の脇にある石碑には、ここが旧東海道の跡であることや、多摩川を渡る「六郷の渡し」の地で活気があったことが記されていました。 |
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| 参道が途中で直角に曲がり、南向きの拝殿に通じていました。とても立派な作りです。拝殿の奥に鎮座する本殿は江戸時代の享保4年 (1719年) 建立とのことです。 |
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| 国道に並行した脇道があり、こちらが旧東海道の道筋のようです。 |
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| 旧東海道跡と書かれた石碑がありました。この先が六郷の渡し跡になります。 |
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| 六郷橋で多摩川を渡ります。モーターボートがすごいスピードで通過していきました。 |
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| 神奈川県に入ります。 |
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| 六郷橋を渡った先、旧東海道は南西へと折れ曲がります。そしてまもなく川崎宿。 |
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| 交差点の角に旧東海道、稲荷横丁と石碑が並んでいました。ここから北に伸びる脇道を進むと川崎稲荷社があります。 |
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| 東海道かわさき宿交流館にやってきました。かつての川崎宿と現在の様子を比較しながら発展の歴史を紹介していました。ありがたいことに夕方17時まで開館しています。 |
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| 駅前から伸びる大通りとの交差点に東海道川崎宿と彫られた石碑がありました。 |
川崎宿 (2/53) ▶︎ 神奈川宿 (3/53)
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| 京急の線路と旧東海道とがこの八丁畷 (はっちょうなわて) 駅前でクロスします。JRの南部支線が京急の線路の上を横切っているのですが、南部支線の電車に乗るには一旦京急の改札口を通る必要があるという面白い駅です。 |
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| 東海道川崎宿史跡巡りの案内板がありました。お寺や神社などが多数紹介されています。 |
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| 市場一里塚への案内が電柱にありました。「跡」ではないということは、もしかして・・・。 |
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| 日本橋から5里 (約19.6km) の市場一里塚に到着しました。形はほとんど保っていないようですが、進行方向左側 (東側) の塚が現存しているようで、稲荷社が建てられていました。 |
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| だいぶ陽が暮れてきましたが、鶴見川橋で鶴見川を渡ります。電車からも見える美しいアーチ橋で、ニールセンローゼ橋という様式だそうです。この形にすることで、鶴見川の流路中に橋脚を建てることを回避しています。 |
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| 鶴見線の「国道」駅に到着しました。昭和レトロな感じが今も残る、古い風景好きにとっては有名な場所です。 |
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| 緩やかにカーブする線路に沿って通路が形成されています。ここだけ時が止まったようですが、自販機が辛うじてここが現代であることを知らしめているようです。 |
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| 改札口付近の様子。Suica の簡易改札機が置かれています。 |
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| キリンビールの横浜工場の前を通過しました。ここは生麦事件の地でもあり、石碑も置かれています (暗かったので写真はスキップ)。麦の字がつく地に麦酒の工場を造るとはなかなか洒落ています。ちなみに生麦という地名は、江戸時代に街道脇の生麦を用いて東海道の水たまりを埋め将軍が通行できるようにしたという話に由来するそうです。 |
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| 「神奈川町本陣跡と青木町本陣跡」と書かれた説明板がありました。神奈川宿には2軒の本陣があったそうで、滝の橋をはさんで東西に配置されていたそうです。「現小野モータースあたり」とありますが、小野モータースってどこ・・・? |
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| 旧東海道沿いに形成された宮前商店街を進んでいきます。 |
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| 神奈川宿歴史の道と書かれた屏風のような形の案内板がありました。上側にある東海道分間延絵図を見ると、東海道のすぐ南側が海だったことがわかります。つまり現在の横浜駅周辺は江戸時代は海の上だったことになります。 |
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| 青木橋で京急の神奈川駅付近とJRの京浜東北線、東海道線そして横須賀線を跨ぎます。この橋は旧東海道と現在の国道1号 (2国、第二京浜国道) が出会う場所でもあります。 |
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| 地下化された東横線の跡地が「東横フラワー緑道」生まれ変わっていました。都会の廃線跡歩きも面白そうです。 |
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| 日本橋から7里 (約27.5km) の神奈川一里塚跡に到着しました。大綱金刀比羅神社の前の街道両脇に塚があったそうですが、現存しません。 |
神奈川宿 (3/53) ▶︎ 横浜駅
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| 神奈川台の関門跡と彫られた石碑と説明板がありました。幕末に神奈川宿の西側に設けられた警備拠点の跡とのことです。 |
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| 神奈川 "台" というだけあり、割と急な坂道を上ってきました。 |
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| 上台橋で横浜駅から伸びる大通りを跨ぎます。 |
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| ここにも歴史の道の案内板がありました。上台橋は真ん中の図の左端に当たります。かつては潮騒の聞こえる海辺の道だったそうです。 |
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| 上台橋で旧道を離脱し、横浜駅から帰路に就きました。 |





























































