中山道六十九次 (4/16) 北高崎→軽井沢

東京の日本橋から旧中山道経由で京都の三条大橋を目指すウォーキングの4日目です。全行程のリンクと注意事項、アドバイスなどはこちらをご覧ください

概要

記録

北高崎駅 ▶︎ 板鼻宿 (14/69)

上野発の高崎線始発列車と、それに接続する信越本線の列車で北高崎に到着しました。

本町1丁目交差点に戻ってきました。ここから中山道歩きを再開です。

番所跡と書かれた案内板を見つけました。高崎城の入り口を足軽が監視していた場所のようです。

岡醤油醸造という醤油屋さんに到着しました。左奥に見えるレンガ造りの煙突がチャームポイント。

岡醤油醸造の案内板をクローズアップ。ここは支店で、明治30年 (1897年) にオープンしたそうです。

中山道は醤油屋さんのすぐ先で直角に曲がります。親切な案内板がありました。

雰囲気ある赤レンガ倉庫がありました。この倉庫は一体・・・?と思っていたら、壁沿いに小さな記念碑らしきものが。

よく見ると、「美峰酒類(株) レンガ倉庫」と書いてありました。「たかさき都市景観賞」とも書かれています。

君ヶ代橋の親柱がありました。今の橋の一つ前の代の橋の親柱が記念碑化されたもののようです。

君ヶ代橋を渡っていたら、雪化粧した榛名山が見えました。

下豊岡の石神社という小さな神社で道中の無事を祈願しました。

中山道と草津道の追分に到着、「自然石の道標」と呼ばれる道標がありました。「右はるな道 草津道」と書かれているようです。

この追分にはもう一つの道標、「下豊岡の道しるべ」がありました。榛名山や草津温泉の文字が読み取れます。そして奥の小さな祠は八坂神社のようです。

少し年季の入った旧中山道の標識が立っていました。英語表記は "Old Nakasendō"。

高崎はだるまの名産地としても有名です。この建物は群馬県達磨製造協同組合のもの。中にだるまが並んでいます。

上豊岡の茶屋本陣、休憩所として栄えていたそうです。開館時であれば見学もできるそうです。

湯沢のお地蔵様に到着しました。案内板には、戦時中に招集された人がここにお参りし全員帰還されたとの逸話が記されています。

江戸から28里 (約110km) の藤塚一里塚に到着しました。群馬県で唯一現存する一里塚で、江戸時代初期から植っているムクノキが道ゆく車や人々を見守っています。

藤塚一里塚の北側には浅間神社がありました。

旧中山道は現代の道ではここから碓氷川の土手に向かっていくようです。右手には浅間山が見えました。

堤防の上から碓氷川の川面と浅間山が綺麗に見えました。

土手を降りたところに八幡神社の一の鳥居がありました。とても大きいです。ぜひ参拝したかったところですが、社殿はここから 700m ぐらい先にあるため断念しました。

道路脇の用水路を渡るところに橋供養と書かれた石碑がありました。案内板によると寒念仏橋供養塔といい石橋の改修を記念して建てられたものだそうです。その石橋はかねつ橋と呼ばれていたそうです。

板鼻宿の本陣跡に到着しました。現在は公民館になっているようです。

中仙道板鼻宿と書かれた立派な石碑も置かれていました。この形はもしかして大名行列で殿様が乗る駕籠 (かご) をモチーフにしているのでしょうか。

街道に沿って用水路が流れていて風情があります。

板鼻堰用水路という名前がついていました。江戸時代初期に灌漑用に造られたとのことです。

板鼻宿 (14/69) ▶︎ 安中宿 (15/69)

板鼻宿を抜けると鷹之巣橋で碓氷川を渡ります。江戸時代の中山道はもう少し上流側にあったようです。

橋を渡って脇道に移動、途切れている川の土手からの道が旧中山道のようです。

江戸から29里 (約113.9km) の中宿一里塚跡に到着しました。現存しませんが、石碑が建てられています。

中宿庚申塔道標、庚申塔が道標も兼ねていることはたまにありますが、ここもその一つ。

一旦国道18号に合流して久芳橋で再び蛇行する碓氷川を越えたあと、下野尻交差点で旧道に戻ります。歩道橋から浅間山が見えました。左手のでこぼこは妙義山方面。

中山道15次目の安中宿に到着しました。本陣跡は石碑が建っています。

なかなか味のある赤レンガ倉庫がありました。

中はギャラリーになっているようです。

「中仙道 清水商会」と看板の掛かった蔵のような建物がありました。実態は「サカウエ薬局」という薬屋さんのようです。

有田屋は江戸時代の天保3年 (1832年) 創業の歴史ある醤油屋さん。とても風情があります。

安中大木戸址と書かれた石碑がありました。安中宿の京側の玄関だったようです。

安中宿 (15/69) ▶︎ 松井田宿 (16/69)

安中宿を出ると立派な杉並木がありました。なお、あたりに江戸から30里 (約117.8km) の一里山一里塚があったはずですが、特に手がかりは見つけられませんでした。

伐採された跡、年輪が幾重にも重なっています。

この杉並木は安中原市の杉並木というそうです。時代の変遷で増減しながら美しい姿が維持されているようです。

明治天皇原市御小休所の石碑がありました。明治11年 (1878年) の行幸の際、ここでお休みされたそうです。また、このあたりには高札場もあったみたいです。

交差点に原市町道路元標がありました。

道祖神と石祠が交差点の角に鎮座しています。

街道から日枝神社の参道が伸びていました。社殿は少し奥にあるみたいです。

郷原道祖神・百番供養塔。このあたりにはこのような丸い石でできた道祖神をちらほら見かけます。なお、この先に江戸から31里 (約121.7km) の郷原一里塚があったはずですが、手かがりは見つけられませんでした。

国道18号に合流したところで郷原の妙義道常夜燈がありました。市指定の重要文化財とのことです。大きな常夜燈と、その左手には丸型の道祖神。

常夜燈を別角度から。足元の意匠が特徴的です。

酒盛城跡と書かれた案内板を見つけました。武田信玄と武田勝頼がこの地で酒盛りをしたという伝承があるとのことです。

妙義山方面、険しい稜線がくっきり見えます。

再び旧道へ進み、松井田宿へ入っていきます。

この信金のあたりが松井田宿金井本陣跡とのことですが、特にそれを示す案内板などは見当たりませんでした。

松井田宿 (16/69) ▶︎ 坂本宿 (17/69)

松井田宿界隈を抜けたところで、江戸から32里 (約125.7km) の新堀一里塚跡に到着しました。久々の案内板のある一里塚跡です。この立札の奥10mに南塚の跡があるとのことですが、視認できませんでした。

信越本線の線路と合流しました。ちょうど踏切が鳴り高崎行の普通列車が通過していきました。

旧中山道はここの踏切で線路の南側に移動します。この踏切の名前は第十中仙道踏切となっていました。ちなみに第九中仙道踏切は板鼻宿のあたりにあたりました。

妙義山が近づいてきました。

国道18号を跨ぐところに旧中山道の標識がありました。英語表記は "Nakasendo" となっていました。

旧街道らしい緩やかなカーブの道を進みます。

榎踏切を渡って信越本線を再び跨ぎます。旧中山道はここから丸山坂と呼ばれる坂道になります。

丸山坂を上っている途中に変な形の石とお地蔵さんがありました。変な石のほうは茶釜石といい、叩くと空の茶壷のような音が鳴るとか。お地蔵さんのほうは夜泣地蔵というそうです。

民家も途絶え人気もなく街道なのか不安になるところに中山道の標識がありました。坂本宿まであと5.0kmと書いてありました。

坂を下ったところに碓氷神社の鳥居がありました。参道はなかなかの急階段です。

YAMAP の街道地図だとこのあたりで線路を渡って写真の地点に至るようでしたが、どう見ても踏切は見当たりません。どうやら踏切は撤去されてしまったようです。少し西側にある高墓踏切から迂回してここから再開です。ちょうど横川行きの電車がやってきたので、旧中山道の標識と絡めてパシャリ。

第十五中仙道踏切を渡って線路の北側へ。3つ前に渡った踏切が第十中仙道踏切で、2つ前が榎踏切、1つ前が迂回した高墓踏切だったことから、中山道を跨ぐ踏切は以前はもっとあったと推測されます。

横川駅に到着しました。横川の駅弁といえば荻野屋の峠の釜めし。ここ本店では暖かい釜飯を食べることができます。

お店の前には様々な色紙が展示されていました。そういえば頭文字Dでも描かれていたことを思い出しました。

ほくほくの峠の釜めしをいただきます。昔から大好きな味です。お茶とお味噌汁もついてきました。

こちらは横川駅の駅舎。SL の車輪が展示されていました。ペースが遅かったりコンディションが万全ではなかったらここでウォーキングを打ち切って電車で帰ることも検討していましたが、なんとか日没前に峠を登りきれそうなギリギリの時間、結局このまま碓氷峠にチャレンジすることにしました。

碓氷関所跡に訪問しました。言わずと知れた入鉄砲出女を監視する街道の重要拠点です。復元された関所門が構えています。門柱と門扉は当時使用されていたものをそのまま用いているとのことです。

横川駅と軽井沢駅の間の急勾配区間は長野新幹線 (北陸新幹線) の開業に伴って廃線になりましたが、急勾配をアシストしていた機関車が動態保存されていて廃線跡を試運転していました。

通り過ぎていった機関車と、留置されている機関車が並んだところをパシャリ。奥は碓氷峠鉄道文化むらという博物館になっています。いつかお邪魔してみたいです。

旧道の薬師坂を上っていると、薬師の湧水と書かれた水場がありました。

坂本宿に到着しました。ゆるやかな上り坂が遠くまで続いています。

坂本宿の本陣跡に到着しました。坂本小学校発祥の地と書かれた石碑も並んでいます。

坂本宿は碓氷関所と碓氷峠に挟まれた場所にあることから本陣が2つあったそうで、ここ佐藤本陣は上の本陣と呼ばれていたとのこと。もう一つは少し坂の下のほうにあったそうです。

坂本宿 (17/69) ▶︎ 碓氷峠

車道の国道18号はヘアピンカーブを重ねて勾配を上っていきますが、前方左手に見える旧中山道はより直線的に上っていきます。

旧中山道は映画「サムライマラソン」でも描かれた日本最初のマラソンとも言われる安政遠足 (とおあし) のコースと大部分が被っていて、案内看板が設置されていました。

土砂崩れによる通行止看板にびっくりしましたが、幸い旧中山道は右手の未舗装路を上っていきます。

峠道の雰囲気になってきました。

国道18号を跨いだら本格的に峠道に突入です。右手には休憩所もあり、ここで装備を整えました。

堂峰番所と書かれた案内板がありました。家が2件あり、後の石垣がその痕跡のようです。

峠道はなかなか急ですが、ロープなどが整備されていて安心して上ることができます。

南無阿弥陀佛と書かれた石碑、奥には大日尊と書かれた石碑もあります。寄りかかっている案内板には「刎石坂」と書いてありました。

上り地蔵下り地蔵と書かれた案内板がありましたが、ざっと見渡した限りお地蔵さんは見当たりませんでした。なお、ここ刎石坂は十返舎一九も読んだ坂とのこと。

坂本宿を見下ろせる「覗」に到着しました。木々の隙間から坂本宿がちらりと見えます。もうこんなに上がってきたんだと実感できるポイントです。

「覗」のズームイン。街道がはっきり見えます。

旧中山道から近道が分岐しているようですが、私は街道ウォーカーなので左に進みます。

刎石茶屋跡と書かれた案内板がありました。ここに4軒の茶屋があったそうです。奥に石垣のようなものが見えます。

刎石茶屋跡あたりから勾配が緩やかになりました。針葉樹の林の中を進んでいきます。

休憩所がありました。よく見ると「刎石山 中仙道」との看板も掛かっていました。

日陰になるところには雪が残っていました。ちなみに今日は雪道対応の靴を履いてきました。

写真には写りませんでしたが、小熊と遭遇しこの谷を転げ落ちていきました。小熊の近くには凶暴な親熊がいる可能性があるので、急に遭遇しないように音を立てながら進みます。

堀切と書かれた案内板がありました。防衛のため意図的に道幅が狭められているとのことです。

一里塚とかかれた説明板にしました。東山道の一里塚とのことです。この先の坂は「座頭ころがし」と呼ぶそうです。なんとも恐ろしい名前。

座頭ころがし (釜場) と書かれた案内板がありました。座頭とは盲人のことです。足場が悪い急坂なので盲人には相当な難所のようです。

左に進むと有名な「めがね橋」に行けるようです。雪の上に人間と動物の足跡が見えます。

粟が原と書かれた案内板がありました。明治天皇御巡幸路と中山道の分岐点とのことです。南側は谷なので、北側に進まれたのでしょうか。そしてここには「見回り方屯所」があり、交番の発祥の地とのことです。

山中茶屋と書かれた案内板がありました。かつてここに13件もの立場茶屋があり、明治の頃には小学校まであったそうです。

山中坂と書かれた案内板がありました。空腹ではとても登れない坂ということで「飯食い坂」との別名があったそうです。右手には子持山があるそうです。

山道の中に突如としてバスの廃車体が。昭和レトロな感じでなんだかワクワクします。

廃車体の正面まで行ってみました。側面に「千曲自」(動車) との文字が残っています。現在の千曲バスのことのようです。後の看板にも薄ら文字が見えるように、ここは「見晴台別荘分譲地」で、建物も1件残っていました。

一つ家跡と書かれた案内板がありました。「ここには老婆がいて、旅人を苦しめたと言われている。」と書かれています。平和な時代でなによりです。

陣場が原に到着しました。戦国時代の古戦場だったそうです。なお、ここで道が分かれていて、西方向が旧中山道であるという情報 (YAMAP 等) と、北西方向が旧中山道であるという情報 (Google Maps 等) が混ざっています。安政遠足コースは北西方向で、雪道に刻まれた足跡は全てそちらを向いていました。私は YAMAP に従って西方向にチャレンジすることにしました。

足跡がないことに不安を感じつつ足を進めていると、化粧水跡と書かれた案内板がありました。峠町へ登る旅人がここの湧き水で姿、形を直したと伝わる地とのことです。

人馬施行所跡と書かれた案内板がありました。人馬が休む家があったとのことです。なお、この先の道が雪と傾斜で上るのがちょっと大変でした。

陣場が原で分かれた道と合流したようです。私は画面右手から上ってきたところです。左手が別れた道になります。右方向にも左方向にも中山道の矢印があって混乱しますが、どちらも正解ということでしょうか。ただ、ここまで上りづらい箇所もいくつかあったので、足跡もあった安政遠足に沿ったコースのほうがセーフティでお勧めのコースに思います。

思婦石 (おもふいし) と書かれた案内板がありました。この右手にある石碑がその石のようです。日が暮れてきて写真では真っ黒になってしまいそうだったので写真は案内板のみ。

急にひらけて舗装路になりました。神社の手前に赤門屋敷跡と書かれた案内板がありました。加賀藩前田家の護守殿門を倣って造られた朱塗りの門のある屋敷があり、参勤交代の大名などがお休みされたそうです。

ついに碓氷峠の頂上、熊野神社に到着しました。正式名称は熊野皇大神社というそうです。

安政遠足のゴールもここ熊野神社。決勝点と書かれた看板がありました。

上州と信濃の国境、その名も上信國境。廃藩置県後も群馬県と長野県の県境です。

碓氷峠 ▶︎ 軽井沢宿 (18/69)

碓氷峠を越えたあと陽はすっかり落ちてしまいほとんど写真も撮れずに1時間ほどかけてヘッドライトを装備し淡々と下り坂を下り続けて軽井沢宿へ下りてきました。ここは江戸時代初期から400年以上続く老舗旅館「つるや旅館」前に置かれている軽井沢宿の石碑。無事人里に下りられてホッとしました。

軽井沢宿の中心街に入ってきました。このあたりは現代では旧軽井沢、略して旧軽とも呼ばれています。

軽井沢観光会館に到着、中山道の軽井沢宿であることを示す案内板がありました。

軽井沢駅へと至る軽井沢本通りはおしゃれなお店がたくさん並んでいます。

美しいイルミネーションがありました。暗くなってしまいましたが、夜の軽井沢というのも良いものですね。

軽井沢宿 (18/69) ▶︎ 軽井沢駅

駅に向かうには少し遠回りになりますが、六本辻まで旧中山道を歩くことにしました。名前の通り6方向に道が分かれる交差点で、ラウンドアバウトになっているみたいです。

六本辻に到着しました。ヨーロッパにはよくあるラウンドアバウトですが、日本では2013年に法整備ができたばかりでまだまだ珍しいです。

2013年に初めて定義された日本のラウンドアバウトの道路標識。本来のラウンドアバウトは一時停止はありませんが、ここは見通しが悪いせいか侵入前に一時停止が必要となっているのでご注意ください。

六本辻で旧中山道を離れ、軽井沢駅に到着しました。樹木がライトアップされていてとても美しいです。

とても綺麗な駅舎です。ここで YAMAP の活動記録を終了、歩行距離はこれまでの中山道ウォーキングでの1日あたりの最長の46.4kmになりました。獲得標高1479mも過去最高でした。

駅舎の中にあるカフェレストランのフェルマータで「信州ポークDON」を頂きました。へとへとの体にがつんと来るいいお味でした。

はくたか号に乗って帰路に就きました。

続き中山道六十九次 (5/16) 軽井沢→芦田