中山道六十九次 (2/16) 宮原→籠原

東京の日本橋から旧中山道経由で京都の三条大橋を目指すウォーキングの2日目です。全行程のリンクと注意事項、アドバイスなどはこちらをご覧ください

概要

記録

宮原駅 ▶︎ 上尾宿 (5/69)

上野発の始発電車に乗り1週間ぶりに宮原駅に戻ってきました。

宮原駅入口交差点から中山道歩きを再開です。

さいたま市から上尾市に入りました。

中山道を示す標柱に遭遇すると嬉しくなります。

上尾宿界隈に入ってきました。

ここにも中山道の道標がありました。

上尾宿の本陣跡地に到着しました。上尾宿を西から俯瞰した図が掲げられており、解説版には本陣1軒と脇本陣が3軒あったことなどが記されていました。

上尾宿 (5/69) ▶︎ 桶川宿 (6/69)

上尾市と桶川市の市境付近に庚申供養塔「上の文字庚申塔」がありました。紙垂がかけられ屋根も付き、大切に守られていることが感じられます。

桶川宿界隈に入ってきたところで、とても味のある旅館と書かれた建物が目に留まりました。名前は「武村旅館」で、なんと国登録の有形文化財でした。外からみた限りでは、旅館としてはもう営業していないように見受けられます。

武村旅館は江戸時代の嘉永5年 (1852年) に建てられ、当時は紙屋半次郎宅として旅籠を営んでいたそうです。

桶川駅前交差点に到着しました。商店会の側にも桶川宿の文字が見えます。

この立派な立派な土蔵造りの建物は矢部家住宅で、入り口の解説版によると明治38年 (1905年) 建立、桶川市指定文化財とのことです。

桶川宿本陣遺構に到着しました。特徴的な門が構えられていました。

埼玉県内の中山道筋では唯一の現存する本陣で、文久元年 (1861年) の皇女和宮の下向の際などに改築された記録が残っているとのことです。

奥に進んでみると「現在公開しておりません。この先の立ち入りはご遠慮ください。」との張り紙があったため引き返しました。左手には明治天皇桶川行在所を示す石碑がありました。

公衆便所のところに桶川宿を示す道標が置かれていました。これは「平成の道標」と呼ばれているそうです。

平成の道標のところに桶川宿の大きな案内看板がありました。近くに中山道宿場館もありました。

桶川宿 (6/69) ▶︎ 鴻巣宿 (7/69)

中山道北本宿と書かれた石碑に到着しました。中山道には北本宿という名前の宿場はありませんが、もともとはこの近くに宿場があり、後にそれが鴻巣宿に移ったことからこの地が本宿 (元宿) と呼ばれるようになり、それが北本という地名の由来になったそうです。奥が深いですね。

鴻巣宿加宿上谷新田と書かれた道標に到着しました。上谷新田という鴻巣宿を補完する小さな宿場があった地という意味のようです。

人形という珍しい地名の地域に入ってきました。地名の通り人形屋さんが何軒かあり、その中の一つ広田屋の前には長壽橋なる橋も。1度渡ると1年間長生きできる橋とのことですが、向こう側から渡らないとご利益がないそうです。

是より鴻巣宿の石碑に到着しました。

鴻巣本陣跡と書かれた石碑がありました。周囲は商店や信金などが立ち並んでいて面影はありませんが、地図で見ると奥行きがとても長い建物が街道に沿って並んでおり、宿場町だった頃の土地割りは現代にも残っているのかもしれません。

鴻巣駅から伸びているメインストリートとの交差点にも鴻巣宿の道標がありました。

とても大きな案内板も立っていました。江戸から12里8丁 (約48km) 来たことになるそうです。

鴻巣宿 (7/69) ▶︎ 吹上 間の宿 (7.5/69)

とても立派な道標が中山道の左折ポイントを案内してくれました。熊谷宿へ3里32町 (約15km)、京三条大橋へ123里6町 (約484km)。中山道の旅はまだまだ始まったばかりです。

高崎線と交差しました。踏切の名前は第三中仙道踏切。大宮駅から 21.136km にある 33 番目の踏切ということだと思いますが、踏切は削減傾向にあるはずなので現在も本当に 33 番目なのかは分かりません。

看板を眺めていたら踏切が鳴りはじめコンテナ貨物列車が通過していきました。背の低い緑のコンテナが沢山並んでいますが、残土や産廃などの輸送用でしょうか。

お腹が空いたので中華料理屋さんに入りました。残念ながらあまり私の口には合いませんでした。

箕田 (みだ) 氷川八幡神社に到着しました。名前の通り氷川神社と八幡神社が合体した神社だそうです。

武蔵水路というとても立派な水路を中宿橋で渡ります。武蔵水路は利根川の水を荒川にバイパスする水路で、治水機能のほか埼玉と東京の水道水の供給源として重要な役割を担っているそうです。

箕田追分に到着、平成の道標と案内板が置かれていました。追分の名の通り、ここから群馬県の館林方面へ向かう道が北側に分岐しています。案内板の図は東京国立博物館蔵「中山道分間延絵図」。

箕田追分には馬頭観音の石碑も置かれていました。馬頭観音様にはこの先も沢山お会いすることになります。

こちらは「箕田の庚申塔」。庚申塔にも様々なスタイルがあるようです。

べったら塚古墳に到着しました。なにやら石像が置かれています。

石像は六地蔵になっていました。

前砂村と書かれた石碑が建っていました。別の面には池田英泉の「鴻巣・吹上富士」はこのあたりで描かれたと刻まれています。木曽海道六十九次で榛名山を描いた浮世絵の舞台ということのようです。

江戸から13里 (約51.1km) の前砂の一里塚跡に到着しました。塚は現存しませんが、石碑と案内板が置かれていました。

前砂の一里塚には榎 (えのき) が植っていたとのことです。

分岐に道標が建っていました。熊谷宿へ2里22町 (約10km)、京三条大橋へ121里32町 (約479km) とのこと。

第四中仙道踏切の脇に中山道間の宿吹上と書かれた道標がありました。吹上宿は鴻巣宿と熊谷宿の間にあった休憩拠点だったようです。高崎線の吹上駅はこのすぐ先にあります。

しばらく線路沿いに進みます。電柱に便利な案内が書かれていました。

ここにも案内マークがありました。

吹上駅前を過ぎて少し進んだところで直角に左折します。平成の道標が置かれていました。道標の側面には立場や茶屋、休憩所、宿屋があり賑わっていたことが記されています。

高崎線を跨ぐ陸橋の下にも吹上間の宿の道標がありました。

吹上 間の宿 (7.5/69) ▶︎ 熊谷宿 (8/69)

高崎線の陸橋を渡ります。ちょうど高崎方面に向かう列車が通過していきました。

榎戸村と書かれた道標に到着しました。道は直進なのですが、一旦すぐ右手にある榎戸堰公園で休憩することにします。

榎戸堰公園には立派なモニュメントが建っていました。

ゆるやかに曲がる道が古い道を感じさせます。

荒川の河川敷が近づいてきたところで権八地蔵というお地蔵さんがありました。同僚を殺害し江戸へ逃亡中の鳥取藩士がこのあたりで金に困って絹商人を殺害しお地蔵さんに懺悔したところお地蔵さんが喋ったとの逸話が残っているそうです。

ここから荒川の長土手へ上がっていきます。

土手に上がりました。これは振り返ったところです。

荒川左岸をひたすら北進します。東京の河口から 70.8km 地点。

決潰の跡碑と一本桜という地点を通過しました。ここには1947年に堤防が決壊したことを記した碑があります。

江戸から15里 (約58.9km) の久下一里塚跡が土手の下に見えました。小さな祠が置かれています。

輪型の碑に到着しました。刻まれている文字はよく読めませんが、左に水準点を示す標識と「後の世までまでも修堤記録 輪型の碑」と書かれた説明板がありました。

道端に旧中山道を示す石碑が置かれていました。個人が用意したもののようです。

久下権八公園という公園で一休みしました。大きな石碑と道標が置かれていました。

久下の渡し・冠水橋跡という石碑に到着しました。昔はここに渡船と旧久下橋があったそうです。

再び土手に上がりましたが、すぐ下がります。ここからは遠くの山並みもよく見えます。

みかりや跡という場所に到着しました。柚餅子 (ゆべし) が名物の茶屋があったそうです。

秩父鉄道の踏切に差し掛かったところ、羽生行きの列車が通過していきました。奥は上越新幹線の線路で、まもなく熊谷駅になります。

国道17号に合流してしばらく進み、八木橋百貨店に到着すると、旧中山道跡の碑を発見しました。熊谷宿の本陣はこの百貨店の南東側に少しいったところにあったようですが、通り過ぎてしまいました。ここから一旦国道を離れ、商店街を進みます。

商店街に差し掛かったところに旧中山道を示す看板がありました。この商店街を抜けると、熊谷宿界隈も終わりでしょうか。

熊谷宿 (8/69) ▶︎ 籠原駅

地図で熊谷温泉湯楽の里なる温泉施設を見つけたので行きたくなり、寄り道してみました。石原駅入口交差点から秩父鉄道の石原駅の東側にある踏切へ向かい、踏切を渡った直後に線路沿いを西に進むと温泉施設の駐車場の出入口があり、ショートカットできました。

こちらが温泉施設の入口。奥は上越新幹線の線路です。

温泉を上がり、晩ごはんに穴子天丼を頂きました。お椀をはみ出すロングサイズでびっくりしました。

温泉とご飯で体力を回復したあとは中山道に戻り、再び歩き始めました。暗くなってしまいましたが、江戸から17里 (約66.8km) の新島一里塚に到着しました。ここは北塚のみが現存しており、大きなけやきの切り株も残っています。道中絵図では榎 (えのき) と記録されているが、けやきと榎を間違えていた可能性があるようです。

国道17号の70kmキロポストがありました。当たり前かもしれませんが、旧中山道の一里塚が示す距離とも近いです。

籠原駅から伸びる道路との交差点で旧中山道歩きを中断し、帰路に就きました。

こちらが籠原駅。湘南新宿ラインなどの行き先でよく見かける駅ですね。

続き中山道六十九次 (3/16) 籠原→北高崎